女性の名前に「○子」が多く四音の名前が少ない理由

日本では個人の名前は「石川麻呂(いしかわまろ)」や「穴穂部間人(あなほべのはしひと)」といったふうに長い訓に漢字を当ててきたが、嵯峨天皇のころ遣唐使であった菅原清公の進言によって、男子の名前は漢字で二文字か一字、女子の名前は「○子」とするといった、漢風の名前の使用が進められ、定着した。諱 - Wikipedia

この菅原清公っていうのは菅原道真のおじいちゃんな。

具体的な後世に残った事績としては、それまで和風だった人名のつけ方を唐風に改めたことが挙げられる。男子の場合「坂上田村麻呂」の「田村麻呂」のような形式から「菅原道真」の「道真」や「藤原基経」の「基経」といった二文字訓読みか「源融(みなもと の とおる)」の「融」や「源信(みなもとの・まこと)」の「信」など一文字訓読みという形式にし、女性の名前の「○子」という形式にすることは彼の建言によって導入されたものである。菅原清公 - Wikipedia

まず単純に、名前の二文字目が「子」で固定されると、必然的に読みは三音になりやすい。

男性名だって、「○太」とか「○斗」といった形式だとだいたい三音で、二音や四音は少ないもんな。

このあたりは音韻の問題もあるのかもしれん。

で、貴族の実名に付けられるこの「○子」はいちおう庶民にも広まったらしいが、

室町時代からはそもそも女性に「実名」をつける風習がなくなり「通称」だけを持つようになった。

つまり「松」とか「亀」みたいな二音の簡単な名前がつけられて、

「お松さん」とか「お亀さん」とか呼ばれるようになった。

この傾向は江戸時代まで続いたけど、

明治になって庶民も公式の姓名を名乗るようになると、

貴族の名付けである「○子」は庶民の憧れだったので一気に増加する。